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冤罪File について

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◆◆◆ 「冤罪File」発刊にあたって ◆◆◆


 「果たして被告人が犯人であるのか、そうでないのか?」
冤罪をテーマに語られるとき、この命題をもとに議論が進められていくことが多いものです。
実際「やったかも知れないし、やってないかのかも知れない」
「やったという証拠も無いけれども、やらなかったという証拠も無い」。
これは巷の井戸端会議では無く、裁判でもそれに近いレトリックの判決要旨が見られます。  

 冤罪事件の裁判をしばしばみていると、被告人のちょっとした思い違いや記憶のあいまいさを「供述が変遷している」と一刀両断し、「ゆえに被告人の供述は到底信用できない」とそれを有罪立証の根拠とするかたわら、検察側の立証責任のあいまいさや数々の法令違反には目をつぶって有罪判決を言い渡す蛮行がまかり通っています。  

 また、「すべての状況証拠を総合的に評価すれば…」 など、本来は証拠能力の無い弱い鎖の輪をそれぞれつなげれば、総合的に強い鎖になるという何の根拠も無い妄想断定もあります。  

 そのため、刑事訴訟法第335条「有罪の言渡をするには、罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用を示さなければならない」とあるのに、「証拠の標目」を具体的に述べずに 「有罪の言渡」をしている判決が多く見受けられることは、驚くべきことです。  

 これでは、どんな人間でも、裁判官の心証にかかったが最後、99.9%有罪になってしまうのは当然の結果と言えるかも知れません。  
 ゆえに、「冤罪File」は、日本国憲法の理念にのっとって、 また刑事訴訟法第336条「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」という条文そのままに、「実際にやったのか?やらないのか?」ではなく、「有罪の立証がなされておらず、犯罪の証明がないにもかかわらず有罪であるという妄想断定は違法であり冤罪である」という立場を貫きます。  

 なんでもかんでも「冤罪」だとは思わない。もちろん「冤罪」すべてが「国家権力の横暴」だとも「警察・検察のファッショ体制」だとも思わない。ひとつひとつの事件を取り上げながら、その事件の裏に潜む「冤罪の構図」を多くの人々に知ってもらえれば幸いだと考えています。


編集部  長井 ひろし